冬の夕暮れの海は居心地が良い。
ゆっくりと日が暮れるのを眺める間、
静かな時間を約束してくれる。
こんにちは。
摩文仁で日本軍が投降してから、77回目の6月23日を迎えました。
加えて、今年は本土復帰50年という大きな節目でもあります。
沖縄の戦後の歩み、その一歩一歩は、
祖父や親、叔父叔母たちの人生そのものです。
いろいろな話を聞きました。
アメリカ世の時代、コザの街の様子、AサインやB円のこと、
PIZZA HOUSE、JIMMY、BLUE SEAL、A&Wの創設時、
平和通り、山形屋、沖国、桜坂が一番栄えてた頃、
タームー、イナムドゥチ、煮付けの味の違い、
イッセンマチヤー、ミルクユガフ、ウシーミーの思い出、
昔の泡盛の瓶に浮いていた不味い油の味、
オリオンビールが潰れる寸前の話などなど、
みんなが一同に集っていた在りし日のお正月は、
今でも自分の宝物です。
戦後77年。
沖縄の戦後は、まだまだ続いて行きます。
慰霊の日を迎えました。
首里城のない慰霊の日です。
なかなかこのご時世です。
高齢の親類が多い沖縄ですので、
どうしても帰省は躊躇してしまいますが、
ようやくワクチンを打ち始めたようで、
「大丈夫さ〜」という声もちらほら。。
「やがて良くなるはずよ〜」というやがてが、なかなか遠いのですよ。。
本日は慰霊の日。
特別な日ですので、沖縄のソウルフードのひとつ「中身汁」を作りました。
カチューユから手作りですよ。。
とってもおいしかったです。
おばさんのうちの匂いがしました。
大戦後76年を迎えました。
那覇。
国際通りからたくさんの路地がある。
どこも独特の雰囲気があって、
帰省したら一日朝から晩まで徘徊するのがルーティン。
今はシャッターが閉まっているお店が多いと聞き、
町で働く人の生活は大丈夫かなと思う。
こんにちは。
先日、数年ぶりに沖縄に帰省してきました。
あおときいがいるので、長く滞在はできませんでしたが、
那覇の街や首里を歩いたり、
友人たちと一日中ゆんたくしたり、
家族でご飯を食べたり、叔母たちに会えたりもできました。
仕事も忙しくて、随分長い間帰れなかったんですが、
短い時間でしたけれど、とてもリラックスできたというか、
リセットすることができました。
大切な時間なんだなと、改めて思いました。
いつもは首里の家の屋上から、
ライトアップされた首里城が見えていたのですが、
正殿は跡形もなく、焼け崩れた南殿と北殿の一部がわずかに見えただけでした。
翌日、焼け跡を間近で目にすると心が痛みました。
帰る途中、首里池端の小道にリュウキュウコスミレが咲いていました。
道端にひっそりと、穏やかでやさしいスミレでした。
皆さんこんにちは。
関東では夏が少し遅れていますが、
渋谷のLOFTにて、沖縄を感じることができるイベントが開催されていまして、
友人の茜陶房の二人の作品も出展されています。
沖縄の焼きものというと、土の風合いをそのまま生かした荒焼や、
絵付けを施して釉薬をかけて焼いた上焼など、
いわゆる壺屋焼が想像されると思います。
上京して陶芸を学んだ茜陶房のうつわは伝統的なそれとは少し違って、
ゆったりとした時間の中でもどこかシュッとしている感じがします。
生命力や太陽といったものとは対照的な静けさがあり、
沖縄の優しさや清さが感じられる佇まいを見せてくれます。
僕らにとって茜陶房のうつわは、
中央に留まっている孤独感をいつも和らげてくれるものであり、
穏やかな未来をイメージさせてくれるものです。
お近くにお越しの際には、是非お立ち寄り下されば幸いです。
SOUVENIR&CRAFT OKINAWA
会場:渋谷LOFT 1F LOFT MARKET
会期:2016年7月18日(月)〜8月14日(日)
戦後71年を迎えました。
戦争を生き抜いた人々も老い、
聞かされてきた戦時中の話しの数々が、
記憶の中で薄れていってしまうのではないかと思う度に、
胸が苦しくなってしまいます。
できることならばいつまでも生きていてほしい、
記憶の中だけではなく、ずっと話していてほしい。
凄惨な戦争の中で誰もが感じた帰らぬ人々への思いが、
年々周囲の老いとともに、
自らにも巡るようになっているのでしょうか。
本当に語り継いでいけるのだろうか。
時空を超えて巡ってくる思いに、
ただ為す術もない慰霊の日です。
日が傾き始めてから夜になるまでの間、
首里の街を散策するのが好きです。
カトリック教会から瑞泉の前を通って金城町から首里城へ、
守礼門からアンデレ教会に下りて池端へ、
龍潭池を眺めながら県立博物館を過ぎて首里教会へ。
時間があれば久場川のりうぼうまで歩きました。
その頃にはすっかり夜になっていますが、
そこから汀良町を過ぎて家まで歩く道は、
南部からの風が心地よくて、
いつも清々しい気持ちになります。
1945年5月。
首里城に日本軍の司令部が置かれ地上戦が始まると、
それまで攻撃を避けられていた首里城も、
守礼門や円覚寺なども含めて、
すべて消失してしまいました。
焼き尽くされた町に残ったのは、
傷ついたアカギやガジュマルなどの樹々と、
無数の瓦礫だけだったそうです。
今でも首里の町を歩くと、
守礼門前のヤシの木をはじめ、
町に残る古い石垣などに、
多くの銃痕を見ることができます。
戦後70年。
ここで暮らしていた先人たちのことを想うと、言葉になりません。
平和であり続けることの難しさと尊さを実感しながら、
南風薫る故郷を想う、今日という日です。