誇り

 

 

 

 

 

 

2015年の11月、奥秩父山塊の山を登った際、日暮れまでに下山が間に合わずに、

 

暗闇の中を2時間かけて下山したことがありました。

 

 

 

 

その日は午前中から晴天でしたが午後から霧が出始めたため、

 

山頂に立った頃は視界がありませんでした。

 

いつもならそのまま下山するところでしたが、

 

せっかくだから霧が晴れるまで少し待とうということになり、

 

山頂でゆっくりと遅い昼食をとりました。

 

霧から徐々に厚い雲に覆われ始めたころ、ようやく下山を開始しました。

 

通常の登山では登りよりも下りの方が時間がかからないのですが、

 

特に山深い山域では、登りと下りの差がほとんどないこともあり、

 

この山は確実に後者に属するほど山深く、

 

下山工程の半分をただでさえ視界が利かないうえ、

 

霧が立ちこめる暗闇の中を進むことになりました。

 

暗くなる少し前から、遠くでカラスが鳴いていました。

 

暗くなってから鳴き声は聞こえなくなりましたが、

 

ずっと羽をばたつかせているような音がしていました。

 

僕たちは自然と、走るくらいのスピードになっていました。

 

しばらくすると、妙な異臭が漂っていることに気づきました。

 

雨上がりに野良犬や野良猫に出会った時のような、

 

動物園に入った時のような匂いです。

 

それに生臭さ、魚とはまた違う嗅いだことはないけれど、

 

身体が記憶しているようなものでした。危険だと。

 

 

 

その時、犬の遠吠えが聞こえました。

 

犬のような、ではなく、あれは確かに犬だったと思います。

 

とても長く感じました。心に響き、心に残る遠吠えでした。

 

実際にはそんなことはなかっただろうと思いますが、

 

顔の周りに動物の毛らしきものがまとわりついているような感覚がありました。

 

風に流されて来ていたのかもしれません。

 

早く駆け下りたくても膝が言うことを聞いてくれない状況の中、

 

後ろを振り返ると、闇の中で何かが僕のヘッドライトに反射しました。

 

眼です。あれは間違いなく眼でした。

 

鋭い眼光で僕らをじっと追っているようでした。

 

目を凝らすとヘッドライトに照らされたその姿は犬でした。

 

もう一匹以上近くにいる気配がしました。

 

見たことがない犬でした。

 

犬は大好きで小さい頃からいつもそばにいました。

 

病院でも犬の系統図を見ていましたし、犬は良く知っていると思います。

 

友人がいつも連れていた琉球犬に似ていたかもしれません。

 

でも、目にしたことがない犬でした。

 

牙が見えました。下あごの牙が上あごの牙と擦れ合いながらやや内側にありました。

 

興奮はしていませんでした。

 

僕らの吐く息はずっと白かったのですが、

 

彼らは息を吐いているようには見えず、僕らを冷静にじっと追っているようでした。

 

それから1時間以上をかけて駆け下りましたが、それ以上は何も覚えていません。

 

林道脇の車までやっとの思いで辿り着きましたが、

 

大ちゃんがパニックになっていて車のキーを何度も差し間違えて、

 

足元にある大きめの石を拾って姿勢を低くしていたほどでした。

 

 

 

 

 

それからしばらくして、その近くの山域の登山道で出会った人から、

 

ある絶滅種の獣の話を聞きました。

 

その獣は今からおよそ100年前の1905年に最後の個体が奈良県で捕獲されましたが、

 

その後も目撃情報が絶えず、近年では1996年に同じ秩父の山域で目撃され、

 

2000年代にも秩父や九州や四国の山域でも写真に収められているというものでした。

 

それはニホンオオカミ。

 

オオカミ?まさか、と思いました。

 

僕は、もののけ姫のオオカミのイメージしかありませんでした。

 

そんな僕が、その写真を見せられたとき、息をのみました。

 

あの時の犬だ。

 

 

 

 

 

絶滅危惧種やすでに絶滅しているといわれている植物種を、

 

稀に山の中で目にすることがあります。

 

その時の感覚は、目で見たというよりは、身体が近くにいるのを感じた、

 

そういう表現が的確かもしれません。

 

それでも絶滅したとされてはいますが、

 

自生地がないだけで、保護区域では存続している種でした。

 

100年前に絶滅した、植物ではなく、動物。

 

あれは幻だったんだと思います。

 

絶滅種は絶滅種のままでありつづけるべきなのではないでしょうか。

 

僕は犬を見たのです。野犬です。

 

でも、あの遠吠えは胸に突き刺さりました。

 

僕は日本人として生を授かり、あの遠吠えを聞くことができました。

 

あの時、この胸に涌き上がった感情は生涯忘れることはないでしょう。

 

あれは間違いなく古代から受け継いで来た「誇り」という感情でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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