物質の循環 Ⅲ 『ケルン』
人はなぜ山に登るのか。
「Because, it is there.(そこに山があるからだ)」
かつてジョージ・マロニーがエベレスト登頂前に語った有名な言葉ですが、
山に登る理由とは無数にある山と同じように、それぞれ多種多様であるように思います。
達成感がもたらす至福、克服から生まれる自信、自然との対話、
文明の及ばない太古の姿から得る泰然自若、宇宙に近づくことによるカタルシス….
大きい山小さい山、高い山低い山、
急だけどまっすぐな道、なだらかだけど曲がりくねった道、
見通しはいいけれど崖ばかりの道、先は見えないけれど森や生きものに囲まれた道….
なんだか人生そのもののような気がします。
人生にいろいろな紆余曲折があるように、山も思い通りにはさせてくれませんから。。
そんな山登りの道中に、普遍的で寛容で純粋な存在を目にすることがあります。
もちろん自然が作り出したものがその大多数を占めますが、
だからこそより際立つ、人為的なかたちをしたもの、それが『ケルン』です。
ケルンは山頂に近づけば角がある岩石で、麓に近づけばまるい石ころで積まれたものになります。
おそらく、ケルンの年季の入り具合から察すると、
太古からそれを積み上げるという習慣が、人にはあったのだと思います。
一見、自然と一体になって、思考の入り込む余地などないように思えますが、
それらケルンには、独自の哲学と思想が感じられます。
ひとつひとつの石は、物質として存在している具象的なものですが、
積み上げられたそれは、精神の尊厳であり、物質としての仮象であるような、
抽象的なシンボルに僕には見えました。
自分が一番上に積んだものも、また誰かが上手に積み重ねていきます。
それでも人が積めるような小さな石は崩れ落ち、自然が積み重ねた大きな石は動きません。
所詮、人間ができることは限られているのかもしれません。
この都会では、僕らひとりひとりがそれぞれケルンなのかもしれません。
ひとつの目標、意志や理念に辿り着いたとき、そして向かうとき、
またケルンをひとつひとつ積み重ねていきます。
指標になるべく事象がどうあるかによって、人生の豊かさは変わってくるのかもしれません。
宇宙に近づくための羅針盤 ケルン
山や森の精霊たちが宿る ケルン
数々のドラマや輪廻を刻んだ 山の道標
『物質の循環 Ⅲ ケルン』
会期:6月29(土)〜7月14(日) 11:00〜18:00 ※月・火・水は定休日
出展作品(予定):ケルン、ケルンの彫像、精霊の彫像、金属の植物、樹脂、ステンドグラス押し花など約50点
作品の詳細などは、このblogにてお伝えします。