spirit

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒木の森を抜けるとき、無性に山が怖くなる。

 

樹々たちの桁外れの量感に圧倒され、心の昂りは静まることはない。

 

霧の深い稜線では、無性に山に怯える。

 

太古からの無垢な均衡の美に打ちのめされ、ただ風に追い越されるばかり。

 

畏敬と尊崇の思いといったら聞こえは良いのだろうが、

 

あらゆる自然物は風化に耐えてただ齢を重ね、山の輪廻と歩幅を合わせていく。

 

遠い昔に絶たれた命なのだろうか。

 

遠い夢の中に佇む姿なのだろうか。

 

一瞬の儚さや美しさを感じる隙を与えない山の原始の叡智に、

 

必死に、ひたむきに、野生の意志を絞り出さなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

the spirit

 

「物質の循環展」 hike 2010年

 

h300 楢

 

 

 

 

 

 

 

haseの精霊

9

 

 

 

 

名古屋は名駅のほど近くにひっそりと佇むギャラリーのhaseさんに、

 

2010年の「物質の循環展」で制作した精霊がいます。

 

haseさんは器の作家さんをはじめ、

 

福田匠さんなどのアートの作家さんや西浦裕太さんなどの彫刻家の方など、

 

さまざまな作家さんを扱っています。

 

ご存知の方も多いかもしれませんね。

 

 

その精霊でちょっと気になっていることがあります。

 

haseさんはもうそろそろオープンして4年が経とうとしていますが、

 

いろいろな作家さんの展示会の様子を見ていると、

 

いつも精霊が写っているのです。

 

ずっといて大丈夫なのか、作家さんの世界観を邪魔していないか、

 

かなり心配なところです。

 

ただ、この精霊のおかげでいろいろな方々と知り合える機会が増えました。

 

これは本当に有り難いことです。

 

彫刻は作り手の人間像が現れると良く聞きますが、

 

だんだんと僕の要素が抜けて来て、

 

haseの世界観が凝縮されはじめ、

 

主のような存在になってきているような気がします。

 

それで下げづらいのかもしれませんが、

 

ここは遠慮なくお願いしたいところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

精霊の彫像

 

1

 

 

 

 

最初に彫った精霊です。

 

この時の展示会から、

 

「自然との共生と物質の循環」というテーマを掲げて制作していますが、

 

当時はまだ麓を徘徊して、自然を理解しようとしていました。

 

現在は少しずつ標高を上げて、

 

自然への傾倒の範囲を広げています。

 

精霊の存在は、麓の雑木林から苔むす深い森や荒涼とした岩の海、

 

急峻なキレットやルンゼ、

 

そして、たおやかな稜線など至る所で感じることができます。

 

この2年、毎年1体しか彫っていませんが、

 

今年もなんとか1体は彫りたいと思っています。

 

 

 

 

 

流木と街路樹

 

 

 

 

祈りの聖霊(w170d210h680杉流木)

 

 

 

 

 

 

僕が彫刻の素材である木を得るには、

 

野山に行ったり海や湖に行ったりして拾ってくることが多いと思うかもしれませんが、

 

街で伐採しているときに、偶然道を通りがかっていただくことが意外とあります。

 

先日も蔵前の現場へ向かう途中、

 

国会議事堂の近くを通りがかったところ、

 

業者さんが木の枝を伐採していました。

 

枝と言っても直径20センチ以上のもので、

 

150センチくらいの長さが数本あります。

 

他にも直径5〜10センチくらいのものもたくさんあって、

 

ワークショップ用にもってこいです。

 

早速車を止めて業者さんにお願いしてみると、

 

あっさり「好きなだけ持っていっていいよ」と快諾してもらえました。

 

車に積み込みながら切り口をよく見ると、

 

だいぶ目が詰まった良質なケヤキの木でした。

 

そろそろストックが心配になってきていた矢先の出来事だったので、

 

素晴らしい巡り合わせだと感心していました。

 

 

 

画像の祈りの聖霊は杉の流木で彫ったものです。

 

流木はだいたい堅い芯の部分だけが残ります。

 

なので、柔らかく細密な彫刻に不向きな杉でも、

 

比較的崩れることなく表情を作ることができます。

 

流木はおおむね自然が樹の命を終わらせて、自然によって形作られたものです。

 

自然の中にあるだけで充分に格好よくて、

 

作品の素材としてはそのままでもいいくらいのものです。

 

山林で伐採されるものは資材や薪などで使用されますが、

 

街中で伐採されたほとんどの樹々は捨てられていくだけです。

 

自然の中で朽ちていくのならともかく、

 

自分が暮らした場所とは関係のないところで朽ちていかなければいけません。

 

だから僕にとっては、街路樹も流木と同じように自然の尊厳を感じます。

 

こうして一期一会の新しい樹々を迎えられるたびに、

 

自分が自然の中の一部であることを実感できるからなのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

fairy of tolerance

 

 

 

 

 

 

 

 

この精霊にはtolerance「寛容」という名前がついています。

 

「寛容」とは広義では心が広く人を許す、または意見を受け入れるという意味ですが、

 

哲学事典にはもう少し説明がされています。

 

 

 

ある社会において異端的な少数意見の発表の自由を認め、

 

そうした意見の持ち主を差別待遇しないこと。

 

社会において寛容が支配するためには、

 

その成員たる個人が自己の見解に信念を持ちながらも、

 

それが絶対に間違いのないものだとは信じないで、

 

異なった意見の間の討論が社会の進歩に必要であると認めて、

 

自己の同意しない見解に対してもその発表の自由を是認する態度を持つことが必要である。

 

 

 

 

社会と自然とは相反する意味を持つ言葉ですので、

 

自然界にいる精霊の持つ「寛容」とは大きな違いがあるのかもしれませんが、

 

この精霊を彫りすすめていくうちに、

 

「寛容」であることの大切さと難しさをこの像から感じ、

 

この精霊を見るたびに「寛容であれ」と、

 

自分自身に言い聞かせていました。

 

 

 

 

 

 

 

serenity

IMG_1148s.jpg

 

 

 

 

 

「静寂」という意味のserenityという精霊を彫りましたが、

 

今まで制作したすべての精霊がこの言葉を持っています。

 

それは、植物たちは何も言わず、静かに朽ちていくということと、

 

その静寂の中に、一瞬の果敢なさを感じるからです。

 

それらを静かに見守り続けている精霊の姿を、許されている限りかたちにしていきたいと思っています。
 

 

 

 

IMG_1383s.jpg

 

 

 

 

 

『There by the Grace of God展』ですが、工業地域の様相と雑音とのギャップを感じられてか、

 

たくさんの驚きと笑賛をいただいております。。。

 

南武線で1、2を争う昭和な風景を残す久地駅ですが、

 

連日たくさんのご来場をいただいてびっくりしています。本当にどうもありがとうございます。

 

 

最終日の24日は、この小さな礼拝堂でも日没後の17時よりクリスマスのお祝いをいたします。

 

蝋燭の明かりを照らしながら、この尊い一年に感謝をしたいと思います。

 

 

 

 

 

白の造形美

 

IMG_0629s.jpg
 

 

 

植物採集をしていると、動物の骨に遭遇することがあります。

 

もちろん骨だけではなくて死骸、屍と呼ばれるものとの遭遇もあります。

 

さすがに後者は僕も収集を躊躇してしまいますが、動物の骨の専門家の義理の姉などは、

 

一切の迷いもなくポリ袋に屍を入れ、博物館にて大きな鍋で煮て肉や臓器を取り除き、

 

アルコールで洗浄した後、部位ごとにジップロックで密封して保管しています。

 

沖縄の公設市場で大きくて珍しい魚を頼んできれいに食べた後、

 

白いナプキンの上に丁寧に置いていた骨をジップロックに入れて持ち帰った時には、

 

ジップロックは常備品なんだと感心したことがありました。

 

お話が少々脱線してしまいましたが、僕は全身の骨格標本というものは、

 

やはり湯沢英治さんの写真集「BONES」のような表現を見る方が好きなので、

 

自分の感性的にはごく限られた部位だったり、それこそひとつの骨、

 

かけらなどに対して強く惹かれてしまいます。

 

自然が生み出した生物の様々な形態は、いつの時代でも僕たちに驚きと感動を与えてくれます。

 

リンネがいた18世紀の博物学探検の黎明期では、現在より多くの驚きと感動を与えていたことでしょう。

 

たとえ自らの命を代償としてでも、

 

その神慮に満ちた生物たちの美しさに触れたかった人たちがたくさんいたのも、

 

至極当然のことだったのだと思います。

 

植物も動物も皆朽ちていき、土に還ると跡形もなくそのまま地球の中へ消えていきます。

 

古代からずっと変わらない、そうなる前のほんのひとときの美しさに、

 

僕はただただ感心するばかりなのです。

 

 

 

 
IMG_0628s.jpg

 

 

 
冒頭写真:野兎(桜流木)

 

下部写真:鹿(欅流木)

 

 

 

 

 

fairy of sea

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『around the sea』の海の精霊の行き先を尋ねられることが何度かありました。

 

良縁があって、あの子は鹿児島に行きました。

 

暖かい南に行くことになったのは、きっとあの子が望んだからだと思います。

 

そしてあの子の周りは、世界中から集められた石や銀貨、

 

色とりどりの小さなガラスたちに囲まれています。

 

珊瑚や海の住人たちといるように感じることが出来て、

 

きっとあの海の中にいるように、心を落ち着かせてくれていることでしょう。

 

送られてきた写真を見て、そう感じました。

 

鹿児島に訪れる機会がありましたら、是非会いに行ってみて下さい。

 

 

 

samulo:鹿児島市西千石町8-21

 

http://www.samulo.com/

 

 

 

 

 

 

精霊たちの視線の先にあるもの

 

 

IMG_0047ww.jpg

 

 

 

 

「海の砂漠化」

 

 

僕らが見たことのあるカラフルな色の珊瑚は、海の中に生えている植物のように見えますが、

 

それは、珊瑚を色鮮やかに見せてくれている、褐虫藻という藻類が付いているからです。

 

この褐虫藻は植物なので、二酸化炭素を使い光合成をして酸素とエネルギーを生み出します。

 

この時作り出される栄養分と酸素を珊瑚がもらい、代わりに光合成に必要な二酸化炭素を、

 

褐虫藻に供給しています。両者はお互いに必要なものを供給し合っている共存関係にあり、

 

褐虫藻の色素が珊瑚を美しく見せているのです。

 

珊瑚の白化現象が起こる原因は、褐虫藻が珊瑚からはじき出されてしまう、

 

周辺の環境が生息できない状態になってしまう、などといったことが原因です。

 

珊瑚から褐虫藻が追い出されるのは、珊瑚自体に強いストレスが加わると起こる現象です。

 

温暖化によって海水温度が年々高くなっているため、プランクトンが異常発生し、

 

周辺海域に十分な光が届かなくなると褐虫藻は光合成を行うことが出来なくなります。

 

そのため、褐虫藻は、光を求めて共生していた珊瑚を離れ、移動してしまいます。

 

また、褐虫藻は水温が一定以上になると繁殖・生息できなくなり珊瑚を離れてしまいます。

 

裸になってしまった珊瑚は酸素・栄養供給源を失うことになり、

 

軸となる石灰部分だけになっているため白く見えます。

 

この白化現象が広がってしまった状態が「海の砂漠化」と呼ばれています。

 

 

 

 

 

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沖縄本島では、僕が学生の頃まではきれいな珊瑚を見られるビーチがいくつかあった記憶があります。

 

恩納村にある万座やミッションビーチでも残っていたように思います。

 

今ではすっかり見られなくなってしまって、本島で気軽に見れるところはだいぶ少なくなってしまっています。

 

温暖化によるプランクトンの異常発生が主な原因だそうですが、大量のサンオイルや、

 

珊瑚自体を折って持って帰ってしまう人なども原因のひとつだと思っています。

 

本土の人は不思議がりますが、多くの地元の人がTシャツを着て海に入るのは、

 

少しでも海を汚さないようにしているからというのもあるんです。

 

とは言うものの、近年の1998年に起こってしまった、広範囲に渡る珊瑚の白化現象によるダメージが、

 

一番大きいものだったかもしれません。。。

 

 

 

 

 

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しかし、現在は状況が改善されつつあると聞いています。

 

沖縄の人たちだけではなく、本土から来てくれた心あるダイバーや海を愛する人たちのおかげで、

 

マナーは格段に良くなっていると言われていますし、オニヒトデの駆除や珊瑚の再生への取り組みも、

 

年々盛んになってきています。心配なのは、赤土流出の原因となるリゾート開発などが

 

未だに続いていることと、計り知れない原発事故での放射線の流出による影響です。

 

20数年前に小さかった甥っ子と嫁の父と一緒に、船でケラマに行った時のことをよく思い出します。

 

あの時に潜った海の美しさは、僕にとっては一生忘れられないものになりました。

 

今回の展示会で制作した精霊たちも、あの日があったから彫れたのかもしれません。

 

精霊たちの視線の先にあるものは、たくさんの人たちが、どんなに先の未来になっても、

 

それぞれに海の美しい想い出を紡いでいっていけるようにという願いだと思います。

 

海というかけがえのない自然に対して、誰もが本来もっているはずの願いなんだと思います。

 

 

 

 

 

 

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精霊

 

 

今、自分が純粋な気持ちで、もの作りが出来ているのか、不安になってしまうことが良くあります。

 

心のゆがみを矯正するために、それぞれにリセットの仕方があると思います。

 

僕にとっては、精霊の彫像を彫ることが、手段のひとつです。

 

イメージした表情がすぐにできるときもありますが、ほとんどは何度も何度も彫り直します。

 

技術的な未熟さが大きな要因ですが、うまくいかない自分にイライラしたりすること自体が、

 

表情を出せない最大の要因だと思います。

 

それでも彫り続けると、気付いたら出来ています。

 

頭の中を真っ白にするということは、こういうことなんだとその都度気付かされますが、

 

その時の感覚は、いつもすぐに忘れてしまうのか、覚えてないくらい真っ白だったのかは、

 

ずっとわからないままです。

 

わからない瞬間だから、リセット出来るのかもしれないですね。

 

 

 

 

 

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もうひとつわからないのは、なぜ精霊を彫るようになったのかです。

 

大げさかもしれませんが、植物や地球、そして宇宙とつながっているように思えるんです。

 

その感覚だけは、覚えているんですが、なぜかはわからないままです。

 

いろいろとわからないままでいられるといいなと思っていることに気付かされた、今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

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